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京都市慈照寺「銀閣寺」 [バスツアー]

慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院(相国寺の境外塔頭)

正式名は東山慈照寺。山号は東山と言い開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。
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銀 閣
国宝。
銀閣は、足利義政の山荘東山殿に造営された観音殿のことで、義政の祖父・3代将軍義満が建てた金閣と対比されて用いられる通称である。1489年に上棟されたことがわかっており、同年をさほど隔てない頃に完成したと思われる。

所在地     京都府京都市左京区銀閣寺町2
山号       東山(とうざん、相国寺境外塔頭)
宗派       臨済宗相国寺派
本尊       釈迦牟尼仏
創建年     1490年(延徳2年)
開基       足利義政、夢窓疎石(勧請開山)
別称       銀閣寺
文化財     銀閣、東求堂(国宝)
         絹本著色春屋妙葩像(重要文化財)
         庭園(特別名勝、特別史跡)世界遺産
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鹿児島県 霧島の宿「霧島みやまホテル」 [ドライブ]

今回の霧島の宿は前回泊ったキャッスル霧島ホテルの隣でした。
お風呂はすべて貸切での利用で、館内に内湯2室と宿から少し離れた場所に別棟で山小屋風の露天風呂が3室建っています。
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源泉温度が高温の為、加水はしてましたが、ほのかに硫黄の香りのする浴感の良い湯です。食事はとてもおいしいしお風呂も待つことなく入れ二人で童心に帰ってはしゃぎとても楽しかったです。
料金も凄くリーズナブルで料理の内容からこのお値段は満足でした。霧島に行かれる時は是非この宿をお勧めします。
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西国三十三箇所第15番 京都府京都市「新那智山 今熊野観音寺」 [西国33箇所]

弘仁年間(825年頃)に弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示を受け、嵯峨天皇の勅願により観音像を刻んで本尊とし草堂に安置したのが当寺の創始といわれている。

後白河法皇は本尊を深く信仰し、霊験により持病の頭痛が平癒したので、本寺に「新那智山・今熊野」の名称を与えられ、以来、頭痛、中風、厄除けの観音として繁栄してきたという。文暦元年(1234年)に後白河上皇を当寺に葬るなど、歴代朝廷の崇敬をあつめている。
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現在、この観音寺は泉涌寺の塔頭であるが、応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐ大寺だったという。
なお、本寺は「観音寺」の名称よりも、一般には「今熊野」や「今熊野観音」の呼び名の方で親しまれている。

観音寺は「頭の観音」といわれているように、「ぼけ封じ祈願」の寺としてよく知られており、本堂の左手に「ぼけ封じ」のための物品を販売している場所がある。参拝に訪れた年輩者は「ぼけ封じ祈祷済み枕カバー」を買い求めている。勿論、これを買うだけでぼけないという保証はどこにもないということを理解しているのであるが、ここで買わないと、呆けが早く来そうな気がするそうである。
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西国三十三箇所第16番 京都府京都市「音羽山 清水寺」 [西国33箇所]

清水寺はもう数回行きますが今回ぐらい車・人・人・人の多さは初めての経験です!朱印書いていただく人に聞きますと「今日はまだ大したことは無いです」「連休中はこんなもんじゃ無かったですよ」と言われた。さすがに世界遺産ですね~(^^;)

清水寺は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所観音霊場の第16番札所である。
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清水寺は法相宗系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。

また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地で、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。

また、修学旅行で多くの学生が訪れる。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。
清水寺の宗旨は、当初は法相宗で、平安時代中期からは真言宗を兼宗していた。

明治時代初期に一時真言宗醍醐派に属するが、1885年に法相宗に復す。1965年に当時の住職大西良慶が北法相宗を立宗して法相宗から独立した。

清水寺の創建については、『群書類従』所収の藤原明衡撰の『清水寺縁起』、1520年制作の『清水寺縁起絵巻』に見えるほか、『今昔物語集』、『扶桑略記』の798年記などにも清水寺草創伝承が載せられている。これらによれば、草創縁起は大略次の通りである。

778年、大和国興福寺の僧で子島寺で修行していた賢心は、夢のお告げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。

金色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、そこにはこの山に篭って滝行を行い、千手観音を念じ続けている行叡居士という白衣の修行者がいた。

年齢200歳になるという行叡居士は賢心に「私はあなたが来るのを長年待っていた。自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安置した、これが清水寺の始まりであるという。

その2年後の780年、鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂758年~811年は、修行中の賢心に出会った。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのであるが、延鎮より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。

後に征夷大将軍となり、東国の蝦夷平定を命じられた田村麻呂は、若武者と老僧(観音の使者である毘沙門天と地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦いに勝利し、無事に都に帰ることができた。

798年、田村麻呂は延鎮と協力して本堂を大規模に改築し、観音像の脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天の像を造り、ともに祀った、という以上の縁起により、清水寺では行叡を元祖、延鎮を開山、田村麻呂を本願と位置づけている。
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鹿児島県 ツアーのバス等が観光する 「有村展望所」 [ドライブ]

陸路、大隅側から国道224号線を走ると、最初にある展望所で、距離的には桜島南岳の火口に一番近い場所にある展望所です。私たちは反対側から来ました

展望東屋を結ぶ遊歩道(約800m・約20分)を歩きながら、桜島岳をバックに昭和噴火や大正噴火で流れ出た約10万m3の広大な溶岩原をまじかに観察出来ます。
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遊歩道途中に、海音寺潮五郎(鹿児島県出身の作家)の碑「わが前に桜島あり西郷も大久保も見し火を噴く山ぞ」が立っている。

トイレ、物販所等もあり、観光バスも立ち寄るようで、団体の方の撮影場所等もありました。
以前此処を訪れた時は湯之平よりこちらの展望所のほうが観光客は多かったのですが、今回は湯之平の方が多かったようです。
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