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西国三十三ヵ所第21番 京都府亀岡市「菩提山 穴太寺」 [西国33箇所]



穴太寺(あなおじ)は、京都府亀岡市にある天台宗の寺院。山号を菩提山(ぼだいさん)と称し、本尊は薬師如来、札所本尊は聖観世音菩薩。西国三十三所第21番札所となっている。
「あなおおじ」「あのうじ」「あなおうじ」と読まれることもあり、「穴穂寺」「穴生寺」とも表記された。
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宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。

穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。

『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。

しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。

改心した男は仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、仏師の名が「感世」とされている。


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西国三十三ヵ所第24番 兵庫県宝塚市「紫雲山 中山寺」 [西国33箇所]



西国三十三箇所第24番「紫雲山 中山寺」に行って来ました。ここに行くのは7~8年ぶりかなぁ~境内は今、五重塔を建設中でした。その他の寺院は懐かしく各寺院を参拝させて頂きました。

ここ中山寺は、兵庫県宝塚市にある寺院で真言宗中山寺派大本山。山号は紫雲山。本尊は十一面観音。西国三十三所第24番札所です。
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本尊は十一面観世音菩薩であり、インドの勝鬘夫人の姿を写した三国伝来の尊像と伝えられていて左右の脇侍も十一面観世音菩薩で、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国観音を総摂すると共に法華経に説く観音の三十三権変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという。

普段は秘仏となっているが、毎月18日に開扉される。地元では「中山さん」と親しみを込めて呼ばれており摂津国八十八ヶ所霊場会の本部も置かれてるようです。

子の中山寺の寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場。「極楽中心仲山寺」と称されていた。現在の本堂(1603年再建)や阿弥陀堂は豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建した。羅漢堂には約800体の羅漢像が並んで居ます。

安産祈願の霊場として皇室、源頼朝など武家、庶民より深く信仰を集めており、豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとされる由緒あるお寺です。

また、幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られています。

中山という山が背後にあり、山麓にある中山寺奥之院には厄神明王がまつられ、本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれている。中山寺の境内からは18丁、徒歩50分程度で参拝する事ができる。

毎月の戌の日は、安産祈祷会があり、安産を願い、また、鐘の緒(祈祷を受けた腹帯)の授与を求めて、日本各地から多くの参詣者が訪れるそうです。


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西国三十三ヵ所第25番 兵庫県加東市「御嶽山 清水寺」 [西国33箇所]

清水寺は清水東条湖県立自然公園内、御嶽山 山頂(標高552m)にあり、法道仙人の開基した西国二十五番札所である。

水に乏しかったこの地で仙人が水神に祈りを捧げたところ、霊泉が湧き出し、そのことに感謝し清水寺の名を付けたというのが言い伝えになっている。

清水寺根本中堂からは、空気が澄んで条件が良ければ、六甲山系、瀬戸内海、淡路島、明石海峡大橋などを見渡すことが出来る。
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また、桜や紅葉の名所として知られ、特に春の桜は、染井吉野から牡丹桜まで約1ヶ月にわたって桜の花を楽しむことができる。

印度から渡来した法道仙人が、景行天皇のころから当山に住みはじめ、推古天皇の三十五年 627に根本中堂を建立して、十一面観音を祀った。さらに、行基菩薩が聖武天皇の勅願により、725大講堂を建立、自刻の千手観音を安置する。こちらが西国の札所本尊となっている。

782~806坂上田村麻呂は、奥州平定に先立って、当寺に必勝を祈願して、騒速という太刀を奉納した。現在この太刀は、重要文化財に指定されている。京都の清水寺、安房国の清水寺とともに、日本三清水寺と呼び、いずれも田村麻呂との深い関係を伝えている。

また、祇園女御が多宝塔、池の禅尼が薬師堂、後白河法皇が常行堂、源頼朝が阿弥陀堂を、それぞれ建立した。しかし、これらの諸堂のほとんどは、明治から大正にかけての火災で焼失してしまった。現在の伽藍は、その後の再建である。

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西国三十三ヵ所第26番 兵庫県加西市「法華山 一乗寺」 [西国33箇所]

一乗寺は、兵庫県加西市にある天台宗の寺院。西国三十三所第26番。山号は法華山、本尊は聖観音菩薩である。

寺伝では孝徳天皇の勅願で650年に創建、開基(創立者)は法道仙人とされる。 国宝に指定されている三重塔(1171年建立)は平安時代後期を代表する和様建築の塔であり、日本国内屈指の古塔である。 境内は山深く、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られている。
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一乗寺の開基とされる法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物である。

『元亨釈書』等の記述によれば、法道はインドに住んでいたが、紫の雲に乗って中国、百済を経て日本へ飛来、播州賀茂郡(兵庫県加西市)に八葉蓮華(8枚の花弁をもつハスの花)の形をした霊山を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。

法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人」と呼ばれていた。法道の評判は都へも広まり、白雉元年(650年)、時の帝である孝徳天皇の勅命により法道に建てさせたのが一乗寺であるという。

法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。

一乗寺には7世紀~8世紀にさかのぼる金銅仏6躯が存在し(うち3躯は重要文化財)、付近には奈良時代にさかのぼる廃寺跡、石仏などが存在することからも、この地域一帯が早くから仏教文化の栄えた地であることは確かである。


創建当時の一乗寺は現在地のやや北に位置する笠松山にあったと推定されている。笠松山の山麓には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われる。

現存する一乗寺三重塔は平安時代末期の承安元年(1171年)の建立であるところから、その年までには現在地において伽藍が整備されていたと思われるが、正確な移転時期は不明である。

一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っているが、平安時代の三重塔をはじめとする古建築がよく保存されている。本堂は姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものである。
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西国三十三箇所 第11番 深雪山 「醍醐寺」 [西国33箇所]

醍醐寺は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある、真言宗醍醐派総本山の寺院で山号を深雪山と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。
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古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。

醍醐寺の創建は874年、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。

醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。

その後、応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残された。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が建設されたりなどし、今日の姿となった。
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